ネコの仏壇

わたしのネコが死んでちょうど1年が過ぎた。
「一周忌の法事でも」なんて思ってみたりもしたが、この一年、毎日毎日偲んでいたし、思い出していたし、骨壺を抱きしめたりしたので、一周忌といっても特別にすることはないなあということになった。

実は、初盆と一周忌を前にやっとペット用の仏壇を買った。そもそもネコに仏教もキリスト教もないので盆も一周忌も仏壇もヘンだが、便宜上、仏壇ということにする。骨壺が入れられて、スライド式のふたの部分にフォトフレームがついただけの単純なものだが、これが意外とよかった。
もっと早く買えばよかったのだが、どんな仏壇を買おうかと1年近く悩んでしまった。
ろうそく、線香、おりんなどもセットになったものがいいのか、かなり安価なものもあるので、そんなにお金をかけることもないのでは?などなど。いつでも買えると思うと、つまらないことで悩んでしまった。

「3寸までの骨壺なら白い骨壺カバーごと仏壇に入れられる」というのが標準仕様のようだったが、わたしのネコは小柄だったのに、3寸の骨壺にはおさまらず、3.5寸となったのも、悩みを促進した。できるなら骨壺カバーごと納めたいという欲みたいなのもあったのだ。
わたしのネコが3.5寸の骨壺となったのは、脚が長かったため。まさかポキポキ折って入れるというわけにもいかず、ペット葬儀会社の人の「3.5寸にしますね。料金は同じです」という案内をそのまま受け入れた。反対する理由もなかったが、実はそのときも「小さい方がかさばらなくていいのにな」と思っていた。

結局、骨壺カバーごとおさまる仏壇はあきらめて、一般的な仕様・サイズのもので、安価なものではなく、そこそこのお値段のものにした。けっしてオモチャのようなものではなくしっかりした造りで、安っぽく見えないのがいい。
写真を入れて、リビングに置くとしっくりなじんだ。線香を上げたり、拝んだりもしないが、仏壇にしたことで気持ちも落ち着いた。写真と骨壺がひとつになっているのがなんかいいのだ。

ネコの仏壇は、わたし自身が死ぬまで持ち続けることになるだろう。
17年間暮らしたネコが死に、自分自身の死も現実的なものとして捉えなければならない年齢になってしまった。
これまでの人生の思い出は、ネコの仏壇に写真と骨壺を納めるように封印し、それをいくつも抱えながら生きてきたような気がする。最近はその仏壇の扉を一つ一つ開けるように、思い出を振り返ることが増えた。グズグズ考えて後悔すると、次はウツウツとなるだけでなんのメリットもないので「いろんなことがあって長く生きてきたもんだ」と単純に思うようにしている。
わたしのネコの思い出は仏壇一つでは語りきれないけれど、こうして決まった形のものに納めることで、失ったものにとらわれすぎず、新たな気持ちで生きていけるような気がする。


カウンターのはじっこにちょこんと置いてみた。

中の3.5寸の骨壺。