ネコは人間に「痛い」とは訴えない

ネコは人間との関係が濃密になると、どんどん甘えん坊になる。子ネコより高齢ネコのほうが甘えん坊だ。わたしのネコだけでなく、そんな話はよく耳にする。

わたしのネコも死ぬ3ヵ月ほど前、子ネコのように遊びをねだった。下の動画はわたしがスマホで撮影しているので動きがニブいが、わたしがホレホレとおもちゃを振り回すと子ネコのように走り回り、飛び上がって遊び回った。もちろんこんな楽しい時間のあとも頻尿と痛みが襲い、発作のようにトイレの出入りをした。

動画に音声は入っていません

わたしのネコは膀胱がんで死んだので、死ぬ前の9ヵ月間は痛みとの戦いだった。四六時中ではなく、排尿時の痛みが強かったのだと思う。膀胱がんと高齢ネコは避けられない腎不全とのダブルパンチですごい頻尿になっていたので四六時中に近かったかもしれないが、それでもかわいく甘えたり、好物のかつおぶしをねだったりした。

ネコを看取って、ネコは、というか動物はすごいな、と思ったのは人間に「つらい、痛い」と訴えなかったことだ。もちろん、トイレでは泣いていた(敢えて「泣く」と表現)し、その声を聞くだけでわたしは食欲がなくなり、寝られなくなった。しかし、わたしに向かって「おかあさん、痛いよ、助けて」とは一度も訴えなかった。

ネコの要求はすごい。そして受け入れられるまで訴え続ける。「ごはん」「おやつ」「遊べ」「一緒に寝ろ」「起きろ」。大声で鳴いたり、キーボードの上に乗っかったり、寝ている腹の上にタンスの上からドスンと飛び降りてきたり、ネコなりにさまざまな策を講じて訴えてくる。そして人間は99%負けて要求をのむ。それがネコとのつきあい方。そしてその甘えはネコとの時間を重ねれば重ねるほど強くなる。時間の積み重ねで生まれる大きな喜びだ。

死ぬ2ヵ月前、痛がる時間が増えたが、机にのっかり、幅をきかせて存在をアピールかつ無言の「遊べ要求」

甘えるが、けっしてわたしに向かって「痛みをどうにかしてくれ」みたいな表情はしなかった。もちろん鳴いているのだから、友人の獣医と相談して痛み止めなどできる限りの対策はした。でも改善のきざしがなかったことがわたしはつらかった。

でも、痛みのないときは猫生いちばんの甘えを見せてくれた。人間とは違って痛みに対して恐怖を感じないからなのだろう。今はそれがわかるが、具合が悪くなってからは甘えられても、痛みを和らげてやれない自分がふがいなくてつらいばかりだった。

ネコにしてみれば痛くないときは痛さのことは何も考えていなくて、存分に甘えたいだけ。もっと明るい気持ちで接して甘えさせてやればよかったと思う。いつまでたっても後悔がなくならないばかりか新たな後悔が生まれてしまう。バカみたいだが、長くペットと暮らした人間はこの思いを抱き続けるのだろう。楽しくはないが、悪いものでもない。最近は元気なときの姿をよく思い出すようになった。