家焼肉も接待焼肉もタレが決め手

↑家焼肉は脂が少ない部位のほうが煙が少なくてよい

焼肉は炭火で煙もうもうになるような焼肉屋で食べるに限るが、たまに家でも焼肉をする。何度か書いているがわたしは「肉は肉屋」「魚は魚屋」「野菜は八百屋」で買い物ができる環境にあり、スーパーとはひと味違う肉を味わっている(ぜいたくで、しあわせだ)。
家で直火で焼くと火災報知器が作動しそうになるほど煙が出るので、ホットプレートだが、肉がよければそこそこおいしい。

↑肉屋がサービスでつけてくれるスパイス。ガーリックなんかが入っているのだが、このスパイスだけでもじゅうぶんおいしい
↑焼肉のタレは、高いタレを買ったり、コチュジャンを使って韓国風にしたりと試行錯誤したが「酒、みりん、しょうゆ、砂糖」を半分くらいに煮詰めた「和風自家製タレ」に落ち着いた
↑自家製タレと大葉を混ぜた大根おろしとを合わせると、さっぱりしていくらでも食べられる。トンテキにも合う
↑こんな感じで大根おろしを巻き込んで食べる。わたしのタレはけっこう甘口

「焼肉屋はこの店」というのを決めていたのだが、少し前に閉店してしまった。本店、支店と2店舗を展開しており、わたしが行っていたのは支店のほうなのだが、決して流行っていなかったわけではなく、その逆でどうやら人手不足が原因で閉店したようだ。
どうしてもそこの焼肉が食べたくなって本店まで足を伸ばしたのだが、人手不足の影響は本店にもおよんでいて、以前に比べると明らかに扱いが雑で、他に空いている席もあったのに厨房と客席との通り道のような席に座らされて落ち着かなかった。仕方ないのだろうが、「支店には何年も通っていたのに」という思いがよぎり、時の流れの残酷さを恨めしく思った。

わたしはオバサンにしては大食いのほうだが、この店でわたし1人がビール2~3杯飲んで、ご飯ものや韓国冷麺で締めて5~6,000円くらい。高級店ではないが、さっぱりした甘口のタレがわたしの口に合うし、人を連れて行ってもだいたい喜ばれる。
1年に1~2回、わたしのクライアントをこの店で接待するのだが、そのクライアントは1人で20,000円以上食べる(わたしの分を入れたら25,000円くらい払うが、わたしは肉焼きに徹して焦げた肉しか食べていないので、いつもより少ないハズ)。もちろんわたしより若い男性だが、まあ、食べる食べる食べる。焼肉なので安いものではないが、体(てい)よくタカられているのでは? という疑念はわたしは一切持っていない。

彼がわたし以外の人と焼肉を食べに行って腹いっぱい食べるのは、自分が全部支払う立場なら支払いがツラかろうし、割り勘なら遠慮もあって思い切り食べられないのもツラかろう。そんなことを一切気にせず腹いっぱい食べられる環境で焼肉を存分に楽しんでくれているのであり、タカっているのとは意味が違うと思う。わたしが遠慮なく食べられる相手であるというのも、わたしにとってはありがたいことだ。
単なる知人同士であれば「あいつと飲み食いすると割り勘負けする」だの「空気を読まずに大食いする男」などと陰で罵りたくほどの食いっぷりだが、わたしは「接待」と割り切っているので、その対価に仕事をまわしてくれたらチャラだ。
わたしは「相手に合わせて食べる量、飲む量を加減する」みたいな気づかいをするのもされるのも好きではないので、自分が接待する側に立つ方が気楽。自分が多く飲んだら多く支払えばいいのだけれど、そういうのも面倒くさいし、陰で「にゃんとさん、いっぱい飲まはる(←関西弁)」などと言われるのもウザいので、「今日はワシが全部払うわ」と腹を決めて焼肉に臨むのが好きだ。

何がいいたいかというと、焼肉は空気を読みながら食べるものではなく、思い切り食べるものだということ。
腹を探り合うような接待であれば薄暗いところに隣り合って座る「北新地」のクラブにでも行かねばならないだろう。
幸いというか不幸というかわたしは北新地で接待をしたことはないが、若い頃、最も最下層の「お付き」みたいな立場で京都の祇園や北新地のクラブに連れて行ってもらったことがある(支払いをしなくていい立場)が、「さすが祇園、さすが北新地!」と納得できるみごとなサービスで、地元の駅前にある場末のスナックとはえらい違いだと感心したものだ。
いつか北新地での接待が必要になるようなデカイ仕事に取り組んでみたいとは思う。もちろん、接待する側としてである。